2013年02月16日

石巻ライブ(その2 石ノ森萬画館)

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石ノ森萬画館 http://www.man-bow.com/manga/
は一階がミュージアムショップ、二階から上が展示コーナーになっている。なので震災で商品は流されたが、貴重な原画や資料は被害を免れたという。

不幸中の幸い。

この地に来て、この言葉を何度つぶやいただろう。
もちろん、そうじゃないことの方が多い。
でもそう思うことで、少しでも前が向けるならば……。


展示物を見る。
石ノ森先生は、手塚治虫先生と同じく巨匠である。僕が小さいころは、すべての雑誌に載るほどの。
なので、どの作品も思い出深いが、若いKoREDSには知らない作品も多い。それらを彼に解説しながら歩いていると、笑顔でこう言ってくれた。

「マンガの展示を、プロの漫画家に解説してもらいながら観るのって、すごい贅沢です!」

新鮮な言葉だった。
「いや、そら言い過ぎやろ」と言いながら、その意味をかみしめる。
確かに僕と由香ちゃんは漫画描きだ。
石ノ森先生と同じ舞台には立てないけれど、トキワ荘の先輩たちから連なる長い長い連峰の、一番端っこにいることに違いはない。

はい、頑張ります、石ノ森先生。


ではここで、僕の好きな石ノ森作品の紹介を。

『佐武と市 捕物控』(1966〜)
入り口はアニメ(真崎守の演出がえらくカッコイイ)だったが、その後、原作と出会う。ミステリー好きの僕の好みにドンピシャの作品。

『リュウの道』(1969〜1970)
連載一回目のカッコ良さはマンガ史上NO1だと思っている。当時、小学校五年生だった僕は、あまりの感動に、自由帳に連載一回目をすべて模写しようと試みたが、エンピツでベタを塗るのに疲れ、10Pほどで挫折した。

『009ノ1』(1967〜)
石ノ森先生が偉大だったのは、アダルトなものも描いたこと。出会いはイトウくん家の押し入れの奥。かくれんぼをしていて、これが載っているアクションを見つけたのだ。主人公のセクシーな姿態に衝撃を受け、イトウくんに「これをくれ」と頼んでみたのだが、「父ちゃんの本だからダメ」と言われて呆然とする。その後、この作品と再会するまでに何年もかかったが、頭の中の妄想は爆発するほどにふくれあがっていた。

『ジュン』(1967〜1971)
連載中ではなく、高校生になって単行本で知った作品。セリフはほとんどなく、実験的な手法で描かれた作品。売れっ子作家の地位に満足しないで、このような作品に挑んだ姿勢に、プロを目指そうかなと思い始めていた僕はいたく感動した。商業性を排した雑誌「ガロ」とこの作品の影響で「説明しすぎは悪」と思い込み、結果、デビューまでの道のりを遠回りすることになった。

『幻魔大戦』(平井和正原作 1967)
当時は原作があるなんて知らなかった。ストーリーもどこを切っても石ノ森節だったし。今から思えば打ち切りだったのだが、当時はそんなことに気づくはずもなく、あまりにも唐突なエンディングは、逆にカッコ良く思え、「クライマックスは悪」と、これまた間違った思い込みをすることになり、デビューまでの道のりを(以下同文)。

『サイボーグ009』を外したのは、手塚先生の『鉄腕アトム』や横山光輝先生の『鉄人28号』も同じく、いつもそばにあったから。
上に並べたお気に入り作品に出会ったのは(『ジュン』をのぞいて)いずれも僕が小学5年〜中学生の時期であることは意味深いと思う。思い入れの強さは、いつ出会うかによって、大きく左右すると思う。


萬画館には石ノ森作品だけでなく、震災関連の展示もされていた。
マンガは娯楽の代表。皮肉なことに、それと並ぶことで、よけいに震災の悲惨さが浮き上がる。
そして……マンガが大切なものに思えてくる。
担当M山の話も思い出す。震災直後にボランティアでここに来た彼、被災した子供たちに欲しいものを聞いたところ「マンガ!」と言われ、自分の仕事の意味を感じたと言っていたことを。


さまざまな思いを抱いて、萬画館をあとにする。

次は女川へ移動だ。

九月のランニングで見たもの、聞いたことを、あとの二人に伝えるため。
そして、取材で出会った寿司・鮮魚店の「おかせい」の美味しい海鮮丼を食べてもらうために。

(続く)

★本日の画像
すべて、12年9月、『全県ラン』取材時の画像。
撮影はすべて担当M山。
1)「佐武と市」の像。もう少し人間の頭身に近づけてもいいと思う。
2)当時は工事中だった石ノ森萬画館。
3)工事中の壁に貼ってあった、3.11の画像。萬画館が建つ中州が消えている。
4)3と同じ。こちらはその二週間後。
posted by kikuni at 17:57 | 日記