2016年04月13日

たーか(田中)さんがいなかったら、僕の人生はどうなっていただろう。

これまで何度も言ったり書いたりしたので、ご存じの方も多いでしょうが、
僕は「ひと間違い」でデビューした。

ある日のこと、小学館の編集者が「4コマを描かないか?」と僕に依頼をしてきた。
その手には、大学の漫研仲間と作った同人誌がある(もちろん僕の作品も載っている)。
青春漫画が描きたくて、それまでずっとヤングジャンプに持ち込みをしていた僕。
4コマなんか無理と思いながら、原稿料欲しさに無茶な申し出に乗った。
たった6ページ。一度限り。4コマのルールは全部無視してやりたい放題やった。
そうしたら予想外に受けてしまい、掲載後、一度に二誌から連載依頼が舞い込んだ。

申し出は飛び上がるほど嬉しかったけれど、ギャグなんか、ましてや4コマなんか、描ける自信がありませんと一度は断ったが、
押しに弱いので、両方とも受けることになった(それが「傷だらけの天使たち」と「麻雀まんが王」)

人生が変わってしまった瞬間だ。
なに、これ?
それまでの五年間の持ち込みは何だったん?
あの大量のボツネームは何だったん?

何かのおりに、そのきっかけとなった編集者に問うてみた。
「あのとき、なぜ僕に4コマを描けと思ったんですか?」

そうしたら彼は、誇らしくあの同人誌(当時、彼はいつもそれを持ち歩いていた)を開き『ゴスケどん』というタイトルのページを示しながらこう言った。
「そりゃ、これが面白かったからですよ。今度これを焼き直して載せましょうよ」
「うん、これは確かに面白いよね。でも他人の作品だから許可をもらわないと……」

「はい?」

固まる編集者。

「まさか……」

固まる新人漫画家。

「それ、僕の作品じゃないよ」

「え?」

「だって、名前も違うじゃないですか」

「あ……え…… じゃキクニくんの作品は……どれ?」

「これですよ。このつまんないヤツ」
「あ、本当につまらない!」
「……」

人生は何がおこるか判らない。

山口百恵が友人のオーディションのつきそいに行ってデビューしてしまったのは、僕らの世代には有名な話だけど、まさか自分の身にそんなことがおこるとは……。

その『ゴスケどん』を描いたのは同学年のたーか(田中)さん。
さんづけで呼んでいたのは年齢は一つ上だったから

彼は漫画家になろうとは思っておらず、
卒業後はスポーツ関係のイベント会社に就職し、
その後、広告代理店に転職して今に至る。

飲みの席ではいつも面白い話をしてくれた。
普通の話も、語り口でとんでもなく面白くする才能を持っていた。
実際にあった話や、誰も観ないような映画の話、漫画のアイデアなど。

あの話を聞きたいと、同じ話を何回もリクエストするのだけど、そのたびにどこかしらの細部が増えていて、必ず前よりも大笑いできた。

僕やしりあがり寿は「それ描いていいか?」とネタの取り合いをすることもしばしばあったのだが、紙上で再現してみると、彼の話ほどは面白くならないので、いつも悔しい思いをした。


そんな彼が、昨日の深夜に亡くなった。

食道ガン。
去年の夏、大手術をして一度は生還を果たしたけれど、今年になって転移しているのが発見され再入院をしていたのだ。

僕が由香ちゃんと見舞いに行った時はもう食事ができず、ガリガリ君だけどうにか食べられる状態だった。

もう一度会えると信じていたから、想い出話はしなかった。
僕のデビューエピソードも仲間の間では手垢のついた話だからしなかった。
「僕が今あるのは、たーかさんのおかげだよ」とひとこと言いたかったけれど、
お別れの言葉っぽいから言えなかった。



でも言うべきときが来てしまった。
「僕が今あるのは、たーかさんのおかげだよ」

もう一回言っておく。
「本当にたーかさんのおかげだよ」



次回からの飲み会は寂しくなる。
元祖「すべらない話」男がいないからね。
みんなで頑張って、たーかさんの穴を埋めるよ。
僕が話すことは決めてある。あれだよ。
『いつも温厚なたーかさんが、人生で唯一怒ったとき』

あれは大学祭のときだった。
僕らは営業が終了した漫研の模擬店にいた……。
posted by kikuni at 13:51 | 日記